*Reflectionとは何か?
Reflectionという言葉は、内省、投射、反射、といった意味を持っています。
これは「メタ認知」という言葉にも置き換えることができると、IAIRは解釈しています。
Reflectionは、限られた人だけが持つ特殊な能力ではなく、どの人も身につけることができる技術と言えるでしょう。
患者、利用者に触れる、その人の人生に触れるリハビリテーション専門職者は身につけルべき技術であるとIAIRは考えます。
*哲学的視点
ある対象に対して「なぜ、その現象が起きたのか」という法則を見いだしていくことが科学です。
ある対象に対して「その現象の本質とは何か」という原理を見いだしていくことが哲学です。
科学は外側から対象を見つめ、哲学は内側から対象を見つめるとも考えられます。
科学にしても哲学にしても、対象を知るための方法に過ぎません。
科学の対象は「現象や事実」であることに対して、哲学の対象は「存在そのもの(存在全体)」であります。
存在全体とは「主体と客体の全てを含むもの」であります。
リハビリ現場でいえば「患者、利用者と、療法士のどちらも含む」ということになります。
*科学と哲学の補い合う関係
現象を対象とする科学は「実験」という方法を使って、現象の関係性(法則)を明らかにしようと試みます。
存在を対象とする哲学は「反省と直観」という方法を使って、「その現象を可能にする根拠(原理)」を考えていきます。
リハビリ現場では、体験する様々な事象に対して科学的な視点や思考で対応していくことは一般的になっています。
近年の科学の進歩により、対象を切り取り外側から眺めたことでわかってきたことは格段に増えました。
だからこそその現象の起こり、存在そのものを眺める姿勢が必要なのではないでしょうか?
実験を行う研究者は、その限界を理解されています。
研究者によって明らかにされた法則を実践する立場の我々はどうでしょうか?
実践者である我々こそ、現象の法則だけでなく、存在そのもの(原理)を見ようとするバランス感覚が必要なのではないでしょうか?
*哲学の方法【反省】
実験を行い現象の法則性を見いだしていく科学に対して、哲学は「反省」を用います。
反省とは、鏡に自分の姿を写し自分自身を見るように、自分と対話をすることです。
その目的は自分を掘り下げ、「自覚する」ことにあります。
反省はどのようなときに行われるのでしょう?
多くの人の場合、生活が、人生が順調に進んでいるときに反省は行われません。
病気や怪我や人間関係などで、人生に対しての障壁となる場面に遭遇したときに反省が行われます。
そのような場面で、「より良い自分を作るために」反省は為されるのだと考えます。
反省し、これまでの自分を批判し、新たな自分に目覚める(見いだす)ことが目的になります。
まさにリハビリ現場ではないでしょうか?
*IAIRがReflectionを重要視する理由
リハビリの現場で対象者を知るときに、外から眺める(科学)ことと、内から見つめる(哲学)ことを方法として用います。
外から眺めることを療法士が行うのはイメージされやすいでしょう。
哲学的な視点という内から見つめる作業は、療法士ではなく対象者本人が行うのではないか?という疑問が生じるのではないでしょうか?
もちろん対象者本人も内から見つめ、反省を行い、より良い自分になってもらいたいです。
ここでもう一度哲学の対象を振り返ってみましょう。
哲学の対象は「主体と客体を含む存在の全体」でした。
リハビリの現場で、内から見つめる哲学的視点を持つということは、療法士側も対象者側も含まれるといいうことです。
見ている療法士、見られている対象者という区別をしないということです。
自分の問題は世界の問題であり、世界の問題は自分の問題である、と考えることが哲学的立場と言われます。
Reflectionのもつ「内省」という意味をIAIRではこのように解釈します。
つまり、IAIRは「Reflectionにより療法士の自己反省が行われ、それが対象者の内から見つめることにもつながる」と考えます。
以上が、IAIRがReflectionを重視する理由です。