「助け合い」、「利他行動」と、この二回ほど「共感」をテーマにお話をしてきました。
今回は「協調行動」です。
何度も話題にしてますが、ヒトをみるプロであるはずの療法士。その集団の単位であるリハ科の中で、抑圧的で排他的な行動が生まれる理由を考えていました。
それを様々な研究に求めてアレコレと書いて来ましたが、今回はちょっとワクワクしています。
なぜって、より教育寄りで、ヒトの成長に繋がりそうだから。
IAIRは療法士の成長を約束する教育機関です。
成長の鍵が「協調行動」にありそうです。
早速解説していきますね。
今回の内容をざっくり言うと……
- 人は共通の概念を無意識のうちに素早く一致させる傾向がある。
- 脳は効率より協調を好み、非効率でも協調する。協調を抑制する必要もある。
- 目的の為に協調する為にも、ヒトを見るプロとして自分をみる能力が求められる。
今回の参考文献
N.セバンツ(ラトガーズ大学 認知心理学 助教授)
It Takes Two to…(二人で一緒に、協調行動の不思議)
SCIENTIFIC AMERICAN MIND December2006/January2007(日経サイエンス2007年7月号臨時増刊「こころのサイエンス 02」)
まずは疑問から始まる。
みなさんにも経験があると思いますが……仕事や作業、なんらかの共同で行う際に、うまく相手に同調しながら行えているのではありませんか?
もちろん壮大な何かの話ではありません。
日常のちょっとしたこと……リハ科の朝の準備、片付け、掃除。はたまた何かを一緒に運ぶとなった時、運転中に対向車と道を譲り合う際などなど……これらで十分です。
正直「ちょっとしたことではない!」とか思いませんか?
これがダンスや演し物なら、リハーサルする機会だってあるでしょう。でも、日常生活ではリハーサルなどありはしません。
全てがぶっつけ本番!
なのに、ある程度同調したり、微調整したり。それらが出来るのは、なぜなんでしょう?
ヒトは一緒に何かをする能力を備えている!
なぜ?と言うまでもなく、なんとなく皆さんも気づいていたのではありませんか?
「ヒトは一緒に何かをする能力をもともと持っている」んじゃないか?ってね。
「助け合い」や「利他行動」の中でも霊長類の遺伝子にもともと組み込まれているって言っちゃいましたからね。読んでくれてたならピンと来たことでしょう。
加えて、グラスゴー大学の認知心理学者のガロッドとエディンバラ大学のピカリングは、協調行動の手段としての話し言葉の役割を研究するなか「人は共通の概念を無意識のうちに素早く一致させる傾向がある」事を発見したそうです。昭和の現場叩き上げ医療人が大好きな「暗黙の了解」と言う奴です(失礼)。
さて、では、言葉に頼れないときはどうしているのでしょう?
セバンツも同じ疑問から、新たな研究を引用してくれました。
ヒトは同じものに注意を向ける能力を持っている!
「共同注意」と言う言葉をご存知でしょうか。
“相手の注意がどこに集中しているのかを瞬時に認識し、それと同じ対象物や出来事の方に自分の視線を向ける”行動のことです。
バスケだったかな? ミスディレクション……などが流行ったこともありましたね。
まあ、僕らは発達段階生後12~18ヶ月、とか方が馴染みでしょうか。
スタンフォード大学の心理学者クラークとモンクレア州立大学のクリッチらは実験で共同注意が協力行動に与える影響力を証明しています。
ペアで指定した形にレゴブロックを組み立てる実験です。一人は指示役、一人は組み立て役です。指示役はマニュアルを読み上げるのですが、その際、単に読み上げるだけではなく、互いに視線を交わしたり、互いにブロックに目をやるなどをした方がスピーディーでミスが少なかったそうです。
逆に、つい立てで仕切られたペアは協調行動を取るのが非常に困難だったそうです。
面白いですね。現場主義で、他の人とリアルに関わる事を大切にする人達が求めているのは、こういった「共同注意に基づく協調行動」なのでしょうね。
だったら口頭だけのフィードバックではなく、現場でやって見せてくれた方がよっぽど指導に有効ですよね。
やって見せ、真似をさせ……
やって見せ、真似をさせて、試させて……と誰かが言ってましたね。
真似るは真似ぶ(学ぶ)だったかな?
セバンツは“まねする性癖は人をつなぐ接着剤”と言います。脳の研究者であるロンドン大学ユニバーシティカレッジのカルボらの実験から“観察者と被観察者の行動が似ているほど、脳の運動系の共鳴は大きくなった”とも言っています。
この部分、僕は少し捻くれた解釈をしました。
自分の事を真似る部下を友好的に評価し、真似をしない部下をあまり好ましくないと評価するって事ですよね。心理学の行動傾向のままじゃないですか!
個別性やプロとしての自立(自律)を旨としつつも、独立独歩を無制限には許さない……とは言い過ぎかな。
逆に疎外感を感じている人は頻繁に他人の行動を真似ようとする傾向があるそうです。再び仲間に気に入られようとする行動と言われてますが、さて……悩ましいですね。この部分を“他人の行動を観察して、それと似た行動を取るとき、それは一体感のサインだと考えられる”とまとめているんですよね。
無意識下で起きる事をあれこれ考えているから何かどこか違和感を感じてしまうのかもしれませんね。なんとも僕の言葉で言語化できないモヤっとした部分が少し残りました。
脳は効率よりも協調を好むのか?
セバンツは“他人と協調することは、人間の行動に非常に深く根付いている。そのため、他人に合わせることが自分の行動の邪魔になる場合にも引きずられてしまう”傾向について言及しています。
そうそう!そこです!先のモヤっと感がちゃんと論じられてました。
実験関連は割愛しますが、2人がひとつの課題を2つに分担して行うとき、両方の作業に責任を負うひとりの人間のように振る舞うと言っています。何やら「インサイド・ヘッド」を思い出してしまいました。
人は自分への指示だけではなく、他人がどう行動するかにも注意を払っているわけですね。
なるほど、前回の「評判」の話と繋がってきました。
いつも全力で協調しているわけではない!
さて……今日は短くまとめよう!とか思っていたのは何処へやら。
いつのまにか長くなってましたね。
リハ科の中で抑圧的、排他的な行動が起きる原因らしきものは、「協調行動」が誤作動しているのかと考えてましたが、むしろ上手く働き過ぎているからかもしれませんね。
ただ、最後に「模倣を抑える能力」として、協調行動の種類によっては、相手が行動しているときに、敢えて行動しない努力をする必要も出てきます。セバンツはカヌー競技やピアノの連弾を例にしていましたが、敢えてリハ科も一緒だよね、と言い切ってみたいと思います。
無理矢理まとめに入ってみる!
これまで、何か大きな事を成そうとすれば、協力したり、協力しない奴に罰を与えたりしつつ、方向をまとめていく、と紹介してきました。
前回まとめに出した「公益性」をまた引き合いに出せば、全員が必ずしも同じ行動を取る必要はなく、違う行動を許しつつも、方向を同じくしていく事がカギになる、とまとまってきました。
もちろんその行動の中でも、お互いの行動を考慮に入れつつ共同作業をしているんだ、と気づくことでより円滑になるのでしょう。
”人は自分自身の視点からだけではなく、自分の所属するグループの視点を通して周りの世界を見ていることが示される。他人の協力が得れば何ができるかということを考えながら、私たちは自分の行動を計画している“とセバンツは言います。
また“協力は単なる社会的義務ではない。人間は協力せずにはいられない生き物なのだ”とまとめています。
これまで出てきた数々の話題は、「認知」と「行動」を結びつけるものなのでしょうね。大きな事を成し遂げるには、それらが必要だった、と。
さて、改めてリハ科に話を戻せば、行動の範囲、あるいは目指すものの大小によって、協調行動の種類が個人でバラけてしまうのかもしれません。
ただ、それを目的に向かっての行動なのかどうか、でお互いに「自分を知った」状態で、中立的視点の中、評価できずにいると、不幸なことが起きるのかもしれません。
療法士はヒトをみるプロ。
であれば、まずは自分を知ることから始めないと、ですね。
という事で今回の内容をざっくり言うと……
- 人は共通の概念を無意識のうちに素早く一致させる傾向がある。
- 脳は効率より協調を好み、非効率でも協調する。協調を抑制する必要もある。
- 目的の為に協調する為にも、ヒトを見るプロとして自分をみる能力が求められる。
IAIR理事 齋藤 信
IAIRは真の協調性を獲得できるのか?
IAIRコンセプトを見てください。IAIRの講義の最初でお伝えする総論こそ、IAIRの遺伝子。
そして認定講座で繰り返し学ぶことがIAIRの文化です。
患者さん、クライエントさんと、まず信頼関係を構築する。
相手に信頼される療法士を目指すのが、IAIRコンセプトに基づくTGAです。
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