*2018年9月の記事を加筆修正しています。
◇局所を見て全体を見ず
聞いたことがありませんか?
「木を見て森を見ず」
部分的なこと、あるいは狭い視野でのあれこれだけを見て、全体的なことを把握できないことを指していう言葉ですね。
西洋医学は局所を診ている。
東洋医学は全体を診ている。
なんて表現している人もいますけど、そんな風に対比させながらじゃないと脳は理解しづらいのですよね(一部の天才を除き)。
実際はその対比はおかしいでしょう。
西洋医学が局所しか診ていないわけではないし、東洋医学が全体しか診ていないわけではありません。
◇局所を知らずして全体が見れるのか?
天邪鬼な私は「木を見て森を見ず」といった言葉を、「お前は視野が狭いなあ」という意味合いで使っている人を見ると反論したくなります。
「木を知らずして森がわかるのですか?」
つまり
「部分的なことをわからないで、全体的なことが把握できるのですか?」
ということ。
結論を言ってしまうと、「部分的な見方と全体的な見方を行ったり来たりしよう」、ということになるのです。
「各組織、細胞レベル」での知識や情報収集も、「人」としての情報収集も必要であり、相互の関係性を見なければいけないよねって思っています。
もっと言えば、「社会」のように人の集団で成り立つ存在まで情報を見ていかないといけないでしょう。
以下は実話に基づくフィクションです。
70歳を超えても好きな仕事をしながら、夫婦で愉快に暮らしている人がいました。
ある日、腰からお尻にかけての痛み、歩いている時や姿勢変換時の大腿部の痛み、しびれがあり、私は電話で相談を受けました。
ひとまず整形外科の受診を勧めました。(これも重要なテクニックの一つ、責任ある態度だと考えています)
その後、脊柱管狭窄症の診断を受け「腰の骨が潰れて変形している」との説明を受けたそうです。
その人は結構ショックを受けていました。
整形外科からは消炎鎮痛剤が処方され、通院での電気治療を勧められたそうです。
私が直接お会いした時は、痛みのせいか、習慣のせいか、立位姿勢は矢状面上も前額面上も左右非対称が強かったです。
本人に聞くと、他の人から指摘されることは多かったが、自分はそれほどずれてる気はしないと感じていたようです。
立位姿勢を他動的に正中位にすると、痛みとともに強い抵抗感を感じました。
この非対称は疼痛回避のための姿勢なのかもしれません。
(関連記事:動作分析の前にこれをやろう!姿勢観察の方法)
筋の状態も非対称が強く、痛みがある方の下肢は安静仰臥位でも常に力が入っている状態でした。
痛みに対する脳の防衛反応を予想します。
(話していく過程でそのように思いました)
数ヶ月(3〜4回?)私とコンディショニングすることになり、そのセッションで、痛みに変化が現れました。
私が中心に行っていたのは腰仙移行部と臀部の軟部組織の硬さを緩和すること。
運動の乏しい関節と疼痛の原因を過剰な筋収縮にあると予想したからです。
過剰な筋収縮は、習慣的な不良姿勢によるものと推測しましたが、本人が「不良姿勢」と認識できていない以上、修正はすぐにはできません。
筋、軟部組織、結合組織へのアプローチで組織に物理的な余裕を作り、フィードバックを行いながら関節運動(主に他動)を繰り返しました。
脳への再学習のためです。
痛みの低下とともに立位姿勢の非対称が修正されてきた頃、筋緊張にも変化が現れました。
私が行う圧刺激に対しての防御収縮が起こらなくなってきたのです。
閾値が下がったのでしょうか?
その頃になってようやく「自主トレ」を積極的に行ってもらうことにしました。
その人と会うのは1回/月あるかないか。
いい加減な運動が習慣になるのは避けたかったので、脳が関節運動を再学習できてからにしようと思っていたのです。
(痛みは脳にとってノイズです)
目安は「他動的に正中化した立位姿勢時の反応」です。
他動的に正中化させても痛く無くなってきたときに自主トレにGoサインを出しました。
その間、鎮痛剤は継続していません。(医師の処方も積極的なものではありませんでした)
最終的には、日常生活にも仕事にも全く影響なくなりました。
◇地図を広げて目的地までの経路を特定することに似ている
全体的なストーリーを描き、大きなプランを立てながら、それを局所の反応に落とし込んでいき、反応を見る。
木を見ながら森を思え、森を見たら木を想像せよって感じでしょうかね。
「全体を語るなら、局所がわかるようになってからだ。局所を知らずに全体を語るな」
私が若いときに、ある大先輩から聞いた言葉です。
ミクロな見方
マクロな見方
それをつなぐ考え方
実践する技術
支援する態度
理解してもらう説明
そういう一つ一つを「統合」していくことがリハビリテーションなのだと思います。
体のケアを担当する場合、そういうこと(統合)が必要になるでしょうし、そういうのがない場合、私はどうしたら良いか分からなくなってしまいます。
例えば細胞の研究をすることも、それを理解して現場で活かすことも、必要です。
一人で全部できるわけがないので、各分野で発表されていることを取り入れて「統合」して、患者さん利用者さんに還元していく。
時間がかかったっていい。
「難しい」の一言で、未知のことを遠ざけ、自らに新しい見解や手段を導入しないのは、与えられた任務に対して無責任と言えます。
興味のある分野のサイトをのぞいてみるとか、できることからスタートしていき、アウトプットしたりしながら、自分の仕事を全うしていきましょう。
★臨床のヒントをメールでお届けします。
無料メールマガジンの登録はこちらから。