◇問診でHOPEを確認すると

ゴール設定をするにあたって、患者さんのHOPEを確認します。

一般的な「リハビリテーション」は、高齢な患者さんが対象になることが多いです。

そういった「放っておいても勝手に良くならない、歳だから仕方ない」と思い込んでいる高齢患者さんに対して、リハビリテーションのオーダーが出ることが多いのではないでしょうか。

 

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問診時、相手の希望を聞くと、高齢の方や、絶望的な症状をお持ちの方はしばしば

「死にたい」

と、口にされることがあります。

 

 

◇もしも「死にたい」と言われたら

そんな時、あなたはその人にどんな言葉をかけるでしょうか?

 

「いやいや、そんなことを言わないでくださいよ(そんなこと言うもんじゃない)」

という感じで「死にたい」気持ちを否定するでしょうか?

 

 

「そんなこと言ったら、ご家族が悲しみますよ」

という感じで、周りの人が「生きてほしい」と願っているという気持ちを伝えるでしょうか?

 

 

どれが正解かなんてわかりません。

 

 

世の中の困難な問いというのは、一つの正答にたどり着くのが困難な問いではなく、「正答が複数ある」のに、一つの解を求められる問いであると思います。

 

 

◇新人の私は・・・

ボクが臨床にで始めた頃、重い麻痺で入院が続く患者さんを担当しました(片麻痺)。

現状に絶望している様子があり、「死にたい」と口にされていました。

 

 

リハビリテーションに対しても前向きにはなれない様子でした。

 

リハビリテーションの一つの目標である「社会復帰」には、本人の意志、本人の協力が不可欠です。

 

ボクはとっても困りました。

 

「もう死んでもいいんだ、早くあの世に行きたい」と言われた時、先ほどの二つのセリフが(タイミングを別にして)口から出ましたが、そのセリフはどちらも不正解だったようです。

 

その方の希望は変わらない。。。

 

当時の未熟なボクには、その状況を打開するためのアイデアがありませんでした。

 

 

◇相手の気持ちを汲んだのか

数年後、人間としても、療法士としても多少は成長したと自負できる状態で、ある高齢患者さんを担当しました。

 

その人も「早くあの世に行きたい。生きていても仕方ない。もう十分生きた」と口にして、少なくとも意欲的ではありません。

 

何十年も生きてきたその人が「もう十分生きた」と言っているのなら、「そうかもな・・・」と妙に納得してしまいます。

 

私は、相手の気持ちを察し、相手を否定せず、それでいて前向きになってもらおうと、

 

「そうかもしれないですけど、でも、あの世というのは自分から行くところじゃないですよ。順番があって、呼ばれるまでは行っちゃいけないことになってるんです。順番くるまではボクと過ごしてくださいな」

 

なんて言葉が出るようになっていました。

 

 

我ながら、人として大きくなったな、と実感した20代中盤。

 

ところが、、、

「あんたはまだ若いから・・・」

 

と言われ、状況は何も変わりませんでした。

たしかに。

 

 

◇相手の気持ちを察しただけでは・・・

命を知るにはある程度の経験をしていても、命を語るには、ボクは若すぎたのかもしれません。

 

そこでも、ボクは黙るしかなかったわけです。

 

だったら・・・、「早く年を取りたい。言っていることに実年齢が追い付けばいいんじゃないか」

 

 

そういって、世間が「若く見えること」を賞賛し、老けこんで見えることを「罪」のように捉える中、ボクは実年齢よりも年上に見られることを望みました。

 

でも、そうじゃなかったんです。

 

見た目とか、言葉ではないんです。

 

それに気づいたのは、37歳の頃。

 

 

◇気持ちを察した上で、希望を持ってもらうために

歳はとりました(だけど、日頃の鍛錬のせいか見た目は若々しいと言われます)。

時間が経ったので、山のように言葉を手に入れました。

 

だけど「死にたい」と言っている人が欲しがっていたのは、それとはほとんど関係ありません。

 

「生きている希望」とか「生きる意味」とか「生きる理由」

なんです。

 

 

37歳にして気づいたのは、ボクに「そういう技術」が身についてきたから、だと思います。

 

高齢になって、毎日同じように症状に悩まされたら、それは「死にたい」と思うでしょう。

 

 

◇死にたい、と思うのは・・・

「今」という状況が大変苦しい。

 

明日になっても、もれなく今と同じ苦しみが訪れるのだろう、と本人が感じていたら・・・、死にたくなることは理解できます。

 

私たちにできることは、症状の緩和を図り「体は変化するんだ(良くなるんだ)。明日は今日と同じじゃないんだ」と実感してもらえばいいんです。

 

 

そこで必要なのが技術です。

 

誤解して欲しくないのですが、筋肉の硬さをとるとか、痛みを取るとか、そういったものではありません。

 

そういうのは「出来て当たり前」。

 

それができた上で

「相手が望むものを知る技術」

「相手が望むものを提供する技術」

が必要で、それが「希望」に結実するんです。

 

 

そういう意味では、高齢者のリハビリだけに当てはまりませんね。

スポーツの競技復帰に向けたリハビリも、仕事に復帰するためのリハビリも、共通です。

 

 

86歳で、毎回「死にたい」と言っていた人との関わりが続き、88歳になり「もうちょっと生きてみようと思う。孫とも約束した」と話すようになりました。

主訴が消えたわけではありません。主訴との向き合い方は変化しました。

 

 

◇生きている人間(命)がリハビリの対象

「人の命」

ということを考え出すと、深い深い世界へ行くことになるのですが、ボクは理学療法士になって高齢者のリハビリテーションに携わって、初めて「希望の種」がまけたかな、と思います。

 

ボクは16年かかりました・・・。

 

もしも、あなたが目の前の患者さんから「死にたい」と言われたら、何て答えますか?

 

徒手による技術を超えた「何か」を持っていないと、相手の「絶望」は止まりません。

 

 

現代は、情報が整備されてきています。

私のように16年もかける必要なんてないです。

合理的に学びたい方はこちらがおすすめです。

 

 

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