リハビリのゴール設定「自立」「介助」を考える

*2018年10月2日の記事を加筆修正したものです。

問診を行い、初期評価を行って、クライアントの現状がつかめてきたら、いよいよゴール設定です。

私は理学療法士なので、理学療法士がやりがちなゴール設定を例に話を進めていきます。

ゴール設定の抽象度を高めてみよう、という話です

 

ゴールは自立?介助?

・トイレ動作自立

・歩行介助

・独歩

 

移動能力に関して、これらの達成目標をあげる場面が多いですね。

 

それぞれの言葉の意味を整理すると、なんだか矛盾を感じることがあります。

 

動作に介助を要する

「介助」とは、誰かの助けを借りながらであれば動作が行える状態、とします。

 

それくらい何かの機能制限があったり、環境による制限のために助けが必要だったりする状況が目標になる訳です。

シビアな状況です。

 

「誰かの助け」を必要とする状況だと、自宅での生活は難しさが増します。

 

「誰かの助けなしには生活できないレベルが目標」という判断をすることは、療法士にとって簡単ではないです。

だけど、「機能制限がある」「家屋環境が複雑」であると「介助での動作遂行」を目標にせざるを得ない。

 

しかし、現実には「一人でできる」ことを本人、家族は強く望みます。

 

 

独歩ってなんだ?

「独歩」

私はこの言葉の使用に関して、何度ももめました。

カンファレンスで、計画書の作成で、後輩からの相談で・・・

 

独歩って、

「独りで歩く」

ことができるという意味だと思っていました。

 

 

ところが、カンファレンスに出席した時に

*独歩自立

とかいう目標を見せられて、めまいがしそうになった記憶があります。
(独歩軽介助とかありえるのか?という疑問・・・)

 

 

相手は冗談を言っている訳ではなく大真面目に話しています。

相手は「道具を使わないで独りで歩く状態」を独歩と表現していました。

最初は驚き、次に怒り、最後には諦めました。

 

 

使う言葉というのは、その正当性ではなく、集団が使いやすいかどうかで決定されるのだ、ということを思い知らされた瞬間でした。

 

 

「一人で歩くことが自分でできるようになる」という表現に違和感を感じませんか?

私の方が間違っているのでしょう、おそらく。

私は間違っていたのです。(当時)

 

 

独りで歩けるなら、なんの道具を使ってもいい

私は独歩をそう思っていました。

そうじゃないようなのです。

 

 

その意味で私の解釈では「歩行器を使って独りで移動できる人」は「独歩」な訳ですよ。

ところが、そういう時は「歩行器歩行自立」と表現されるのです。

 

独歩ってなんだ?

独歩ってなんなのでしょう?
その答えは「道具を使わないで歩くこと」らしいのです。

 

もう8〜9年くらい前の話なので、今は違うと思いますが、とにかく驚き、いちいち訂正していた記憶があります。

 

最終的には、統一した書類作成のため、表現も統一しないといけないため、私の思いはどこかへ葬られてしまいました。

 

 

集団で生きるためには、葬らないといけない思いもあるのだと、私は学びました・・・

 

 

自立

一番語りたいのが、この「自立」ってやつです。

 

自立の意味を皆さんはどうお考えですか?

ある場所でPTOTSTを対象に聞いてみたら、誰も答えてくれませんでした。

(これは自立の意味がわからないのではなく、私のことが嫌だったのだと思います。わからないはずがないので)

 

ある方が答えてくれたのは

「選択できること」

という答えでした。

 

 

リハビリ現場では「自立」は「独りでできる、自分でできる」状態を指しています。

 

 

 

動作を例に挙げると、

歩行器を使えば一人歩けるが、他の道具では歩けない

というのは「歩行器歩行自立」なのですが、歩行器に依存しています。

依存した状態が強ければ強いほど、在宅生活は困難になります。

 

「動作を遂行するための多様性が作れるかどうか」も、リハビリに求められるところですね。

 

 

私は若い頃、この辺を全く考えていませんでした。

「自分で、一人で、動作が遂行できないと生活できない」という患者側の声に寄り過ぎていたように思います。

 

なので目標を「介助」とすることにとても悩んだのです。

 

紛らわしい言い方になりますが、「介助を受け入れることで自立した人としての生活に近づける」のですよね。

 

自立と依存

動作としての自立と、社会的な自立を分けて考えます。

動作の自立は「一人でできる」という意味ですよね。

 

 

リハビリのゴールにとって究極的には「医療や介護を含めて社会のあらゆるものと共存する」が目標になると思うんです。

・ナントカ病院じゃないと治らない

・ナントカ先生のリハビリじゃないとよくならない

・ナントカ法じゃないと回復しない

・ナントカサービスを使わないと生活できない

これらは全て、ナントカの部分に依存しています。

 

 

一つの何かに依存するのではなく、頼ることができる場所、モノ、ヒトを多く持つことが社会的な自立である、と私は定義します。

リハビリテーションがもしも「人としての自立」を目指すのであれば、少なくとも「リハビリテーションに依存」することがないように介入していかないとですね。

 

リハビリテーションに依存することなく、リハビリテーションという概念を利用して生きていく。

それがゴールとしての自立なのだろうなあ、と感じています。

 

症状の緩和や治癒は、「短期目標に過ぎない」のですね。

 

 

例えば、徒手的な介入は依存を生みやすい、という話を耳にしたことがあります。

これは、徒手的な介入による効果や感触に対してクライアントが依存してしまうというより「施術者が徒手的介入に依存している」からではないか?と思います。

 

 

徒手介入が必要ないのではなく、徒手介入の受け止め方、使い方を間違えてはならないという話です。

徒手技術に依存するヒト(施術者)多いですからね。。。

 

徒手的な介入は「短期の」目標を達成するための「一つの手段」です。

徒手的な介入が行えないケースもありますが、その場合でもリハビリテーションのゴールに向かうことは可能です。

徒手的な介入への依存がなければ、ですけれど。

 

 

社会的な自立のために、動作としての介助を受け入れるっていう紛らわしい話でした。。

できる/できない、の判断基準よりも少し抽象度の高い視点を持つとリハビリ介入の幅は広がると思います。

 

 

 

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